No.1 春野町「閑静の賦」歓送迎台 トップページへ戻る
2020.1.5

 天竜区春野町長蔵寺の集落の入り口の道端にコンクリートの台座と記念碑が立っています。出征する村民を送り出す歓送迎台でした。

 「日中戦争と、それに続く太平洋戦争で、高さ1メートルのコンクリート製の台に立って出征した村民は300人超。うち203人が生還しなかった。」と聞きます。

※300人戦地へ歓送迎台 天竜・旧熊切村203人帰らず 






「閑静の賦」には歓送迎台の由来が書かれています。


美しい山ふところに抱かれて生まれ育った熊切の若人達は、祖国存亡の危機が迫るや憂国の情に燃え、敢然として戦場に向いたり。吾が故郷の安寧と、愛する家族の幸せを念じ、老いたる父や母を残し、孝子と涙の別れを告げて戦場に向った若き出征兵士の胸中は如何ばかりか、察するに余りあり。

生きて再び故郷の土を踏むこと叶わぬを秘かに決意し、緑なす美しき故郷の峰々を見俯して清らかなる熊切川のせせらぎを聴きつ此の壇上に立ちて出陣の決意を述べたる若人を思うとき、万感胸に迫りて声もなし。

昭和13年、日中戦争の最中、若き青年達の奉仕と石工、志津重郎氏の手により、熊切村の支援を得て此の壇は造立されたり。

君死に給うこと勿れ、生きて再び故郷に還り給への願いを込めて此の壇は歓送迎台と名付けられたり。

悲しいかな、故郷の想いを抱きつつ異国の地に散華した熊切の若き出征兵士の数は203名にも及ぶ。痛恨の極みなり。

現代の繁栄と平和の礎は国を愛し、故郷を愛し、そして、こよなく家族を愛して戦場に散った若人の尊い命に依るものなり。

時は流れ、熊切の村が春野の町となり、浜松市となる。今は朽ちて崩れし歓送迎台なれど、故郷を愛し戦場に赴いた出征兵士達の足跡の残る尊い壇であることを終戦60年の節目に当たりここに賦す。

閑かにして静かなる故郷の平和が永遠に続きますように、祈りを込めて此の碑を建つ。

             平成17年8月15日  終戦記念日



 以前、子供たちとキャンプや川遊びに行き、知った記念碑です。途中からは、車から降りてに手を合わせるようにしていました。小さな熊切村から300人余の出征があり、そのうち203人もの命が失われたことを知りました。

 前述のwebページの記事にはこう書かれています。
<台から戦地に赴いた1人、早野里次さん(92)=天竜区春野町長蔵寺=は「再び出征する人が出ない世であって」と願う。>
<10年前、地元の老人クラブが平和を願う碑を台の上に建てた。早野さんは妻芳枝さん(86)と長年、台の周りの草取りをしてきた。今でも台に上ることがある。そして、村民の大勢が亡くなったことを思う。
 早野さんは言う。「行く者も送る者もバンザイと言うしかなかった。かわいそうな兵隊さんが二度と出ない世であってほしい」(「中日新聞」より)>


天竜区春野町長蔵寺付近、新緑の頃、朝の風景



YOU TUBE動画
バッハ「慰め~われら悩みの極みにありて」 BWV641with朝の風景

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